映画感想:ドラゴンボール超 ブロリー

ドラゴンボールといえばド真ん中世代である。正確にはZ世代。テレビシリーズは今思い返しても、よく極限まで薄めた作劇を毎週見ていたと思う。展開が遅いとは思いつつも麻薬的にテレビを見つめていた水曜日のゴールデンタイム。そうそう、学校ではサイヤ人ごっこをする男子とセーラー戦士ごっこをする女子の間で日々抗争が繰り広げられていた……。

 

何年か前、久しぶりにドラゴンボール超として再アニメ化したが、このシリーズは見ていなかった。映画も「神と神」はテレビ放映しているのをちらりと見た気がするがその程度。戦闘アクションがもっさりしていてすぐにチャンネルを変えたような気がする。

あれだけ展開が間延びしていたかつてのテレビシリーズも戦闘シーンはたまにやたらと力が入っていて、原作以上にバイオレンスましましだった。それにくらべるとずいぶんちゃちくなったという印象を持っていた。

 

さて今回のブロリーの映画。惑星ベジータから始まる。ここでちょっと驚いた。

サイヤ人にも非戦闘要員もいる。男女の役割分業。生まれてくる子どもの選別。サイヤ人エスニシティがよく描かれている。Z時代の映画はここまで異民族の生活感はなかったような気がします。例えるならスターウォーズのような感じでしょうか→異星人のカルチャーが生々しく感じられるところ。

そういえばフリーザの船が宇宙空間を高速移動するところは、スターウォーズのワープ航法のシーンと似ていたので、あらためてスターウォーズの影響を受けているのかも。

 

キャラクターは敵味方両方に愛着が湧くようにできていますね。悪逆非道のフリーザ様でさえも可愛げがあるようにみえます。直前のシーンでブルマがドラゴンボールで叶えたいささやかな願いについてのシーンがあり、それを反復するかたちでフリーザの願いが語られます。天丼で出てくるので思わずフリーザに親近感が湧いてしまいます。おまえは大物界一の小物か。

ブロリーについては気性の激しさが父親によって歪められた結果だというエピソードがあったり、セクハラ親父を諌めるシーンがあったり、いいやつなんだなあと印象付けられますね。毛皮の腰巻には失ってしまった友情のエピソードが添えられます。腰巻は常に巻いているから、そのかぎりどんな激しい戦闘をしていてもこの男には友情の心があるんだという視覚的にインプリントされているわけです。

敵役にも愛着が湧くようにしてある。さすが鳥山先生。

 

戦闘シーンはやたら長いですが、作画が良いのであまり気になりません。飽きさせないようなアイディアがたくさん注ぎ込まれていると思いました。

特に3DCGの使い方がよいなと思いました。カメラが大きく回り込んだりが激しく動くシーン、大爆発などド派手なエフェクトシーンで特に使われていて、キャラクターの動きも早いので3D/手書き作画を意識せずにアクションに没頭できます。

 

さて、敵味方愛着のでるキャラに仕立て上げられた上での本気の殴り合いはどういった決着になるのか。そこでとられたのは暴力以外の解決方法。武力を持たないキャラクターの友情によってブロリーは故郷にワープさせられます。かつての連載での暴力への連鎖に反省があったのでしょうか。ハンターハンターのキメラアント編でも圧倒的な暴力を無力化したのは武力を持たない女の子でしたね。あれですらもう何年も前です。

ジャンプのバトル漫画の現在はこんな感じなんでしょうか。忘年会で今のジャンプ漫画はプラチナ期だと力説されましてちょっと興味がわきましたが、これを機会に読んでみたな、と思いました。