読んだ本とか (人工知能の夢の源泉はどこ?)
会社が完全リモートワークになって、前よりは本読むようになった気がする。
■ノンフィクション
LIFE3.0
マックス・テグマークは「数学的な宇宙」という本を書いていた物理学者。それが今では人工知能を研究しているというのだから、本屋で見かけたときは意外に思いました。
テグマークは前に書かれた本では『数学的宇宙仮説』を提唱していた。
- 数学的的宇宙仮説:私たちのいる物理的世界は数学的構造である
- 数学的構造:抽象的要素の集合であって、要素間に関係が定義されたもの。バゲージに依存しない形で記述される。
- バゲージ:便宜のために人間によって発明された概念および言葉。外的実在の記述には必ずしも必要ではない。
以上から宇宙は抽象的な要素間の関係以外いかなる性質も持たない、という結論が導かれるとのこと。
自分としては、いわゆるシンギュラリティ“機械が人間を超える”というのには懐疑的です。今人間の能力とされているもののほとんどを人工知能に置き換えられたとき、人間は人間の人間たる所以を定義しなおすのだろうと予想しています。事務作業、創作活動、社会の中の問題を人工知能が人間よりも合理的に解決できるようになったとき、人工知能にできて人間にできないことは何か考えることになるでしょう。
AI原論
これを読んだのはたしか発売当初の2018年で、2年ほど前。だけど前後の本に関連するので書いておきます。
著者はシンギュラリティに懐疑的な立場を取るが、それよりも興味深いのは、なぜ「シンギュラリティ=『人間を超越する知性』が生まれる」などという(著者に言わせれば誇大妄想じみた)言説が力を持つのかを考察しているところ。背景に一神教があるといいます。
一神教のロゴス中心主義について
ロゴスとは、万人の理性にうったえる20世紀の記号論理がくのような普遍的「論理」の面をもつが、それだけではない。それは啓示によって与えられる「神の御言葉」という神秘性をおびるものでもある。
そうして、人間の肉体をもって君臨した、イエス・キリストの唇から発せられた言葉(ロゴス)こそ、神の啓示に他ならない。こうして御言葉(ロゴス)の受肉というキリストのイメージが、三位一体の教義へと道を開いたのである
さらに、シンギュラリティ言説とグノーシス思想の類似を指摘。
端的にいって、両者(古代ギリシャの論理的思考と神秘的物語性)をそなえた汎用AIはこういう一神教的神話の二一世紀バージョンであり、決して謎めいたものでも、滑稽なものでもないのである。
きわめて単純化すれば、トランス・ヒューマニズムは「創造神/ロゴス中心主義/選民思想」という三つのキーワードで説明できる。救済計画をもつ唯一神がこの宇宙(世界)を想像したのであり、その設計思想はロゴス(論理)をもとに記述されていて、正確な推論によって真実にたどりつける。そして、選ばれた人間だけが、ロゴス(神の御言葉)を解釈しつつ正義の実現をめざすことができる。それが正しい行動なのだ。したがって、「絶対知すなわち神の値」という公式のもとで、これを実現する汎用AIという存在さえ位置づけることが可能になる。
グノーシス思想の現代リバイバルとしては、ニューエイジ思想の兄弟といえそうだです。
虚妄のAI神話
AI言論で引用されているシンギュラリティとグノーシスとの類似について軽く触れておきます。
シンギュラリティ仮説とグノーシス思想の類似性を指摘。著者によるとグノーシス思想には4つの特徴があると整理
- 不完全な世界の元凶である偽りの神とそれに支配力を奪われた真の神との対立
- ロゴス(論理)よりミトス(物語)を重視すること
- 精神と物質を完全に分けて考える二元論
- やがて大異変が訪れ、時間の断絶を経て真の神の世界が到来するとしている
さらに以下のように続く。
これら四つの特徴は、シンギュラリティ提唱者たちの主張にも同様に見られるものだ。
再びLIFE3.0
以上を踏まえてもLIFE3.0の議論は価値があると思います。この本で展開されている議論は「人工知能が人間の知性を超える」という主張を差し引いても成り立つからです。
AIが発達しブラックボックスが大きくなれば人間のコントロールから離れよからぬ結果をもたらす恐れがあるし、このリスクはAIが人間を超えるかどうかとは全く関係なく存在するでしょう。
ライプニッツの情報物理学
ライプニッツは興味深い人だ。ライプニッツはニュートンと同時期に微分積分を発明した一流の科学者だが、一方で神学研究もしている。
学問はデカルト以降専門化細分化されていき、すべての学問を修める人はいなくなったとどこかで聞いた気がするけれど、ライイプニッツの時代ではまだ神学と数学・自然科学を修め世界の全体をとらえようとする方法があった様子。科学には科学の適応限界があって超越的なものは否定しきれないものですが、じゃあそれを含めて世界の全体はどのようにとらえられるのか、ということを考えるにあたってライプニッツは参考になりそうだな、と考えたりします。
ある意味では、その後の科学の発展によって人類が獲得した世界観を、ライプニッツの哲学は先取りしているところがある気がしてくる。
たとえば<最善世界>は解析力学の変分原理の概念に似ているし、空間時間を副次的な生成物ととらえるモナドロジーはループ量子重力理論と共通している。実際、量子重力理論の研究者もモナドロジーを参考に読んだとか(真偽は不明)
もうひとつライプニッツの思想で科学を先取りしてるものがあります。
「普遍記号」――人間の思考のすべてを包括する記号体系――はのちにブール、フレーゲ、チューリングへと継承され、コンピュータとして受肉します。
ライプニッツの思想は情報科学として発展していった、逆に見ると情報科学のアイディアがライプニッツの思想の中に先取りされているともいえます。その観点でライプニッツの思想を分析してみようというのがこの本の試み。
実体(モナド)界と現象(知覚する現実)界の関係はチューリングマシンを比喩として見てみるとわかりやすいといいます、
メタトロン 情報の天使
これはわけのわからない本だった。流し読みだったけど、巻末の解説がわかりやすく要約してくれていた
ソル・ユーリックが最終的にいいたいのは、まず資本主義というのは人類がいるときから、ずっとあるんだと。極論すれば、十九世紀の産業革命以降始まったものではなくて、資本主義は人類のいる瞬間からある。同時に、恣意本主義はつねにすでに初めから情報資本主義だった。
これは一種の極論で、こう見たらどうなるかという思考実験の側面を含んでいるとのこと。
カバラ
カバラの思想について日本語で書かれた本としてはおそらくこれがベスト。全部読むのは大変なのでかいつまんで読んでます。
カバラ思想の中には古代エジプトの神秘思想の影響があるらしい。
古代エジプト起源の宇宙発生論によれば、二八個(アルファベットの数)は占星術的な暦による二八日に相当し、そこには聖なる存在の本質を形成する要素が含まれていると考えられた。大宇宙と小宇宙(人間)はこの聖なる文字の組み合わせと、”ゲマトリア”による文字のもつ数値計算による秘儀的解読法を通じて理解されるものとした。
ゲマトリアが導入されたのは十二世ごろのドイツらしい。
言葉の数値を調べ、その象徴的意味を理解することで占い、予知、魔術、現世的利益のために役立てようとする通俗的カバラが育ち始めていた。盲人イサクが危惧したとおり、カバラ神秘思想は変質し始めていた。具体的には”ゲマトリア”およびノタリコンと呼ばれる手法が導入され始めていた。”ゲマトリア”とは、単語のそれぞれの文字に付された数値によって隠された象徴的意味を把握しようとする手法である。
カバラ思想においてゲマトリア手法集大成させたのは、ボルムスのエレアザールという人だったらしい。エレアザールは主著『秘密の秘密』の中でゴーレムの作り方について書いている。
具体的な作り方についてはボルヘスの『幻獣辞典』で解説されている。
必要な手順としてはおよそ二十三の二つ折り本の円柱を網羅し、「二百二十一の門のアルファベット」の知恵を要し、それをゴーレムの器官ひとつひとつの上で復唱しなければならない。「真理」を意味する《emet》という文字を額に記す。この生き物を殺すには、その最初の一文字を消し去る。《met》という後は「死」の意味である。
うしおととらでもありましたね。
宇宙と宇宙をつなぐ数学
ABC予想の証明が査読を通ったとのこと。
このニュース事態は大変めでたいことだが、不満だったのが「数学の天才」というキャラクターの安易な消費のされ方だった。
例えばこんなの↓
このニュース恐ろしいのは、望月教授の「数学の研究を進めるには、ある程度話が通じる相手がある程度の人数いる環境でないと難しい」というコメントですよね……日本最高峰の研究所でも「ある程度」なの…ってhttps://t.co/aEHwM7GcEA
— dragoner (@dragoner_JP) 2020年4月3日
「宇宙と宇宙をつなぐ数学」の面白さは第一には宇宙際タイヒミュラー理論の解説なのだけれど、個人的に興味を持ったのが望月教授のブログに触れられているところだった。
望月教授が海外で発表したがらないのは、彼が性格的にシャイだからだ、という意見もありますが、それはおそらく正解ではないと思います。実際、こういうことに唯一の正解があるとも思えませんし、理由はいろいろあり得るとは思いますが一つには彼自身が度々口にしていたこととして、彼が人一倍旅行や国際旅行が苦手であること、そしてそれが彼の長いアメリカでの滞在経験と深い関係のある、個人的ではあるが、ある種の普遍的な問題に根ざしている、ということが挙げられます。これについては、ブログで、彼自身の言葉で語っていることを直接読んでいただいた方がよいでしょう。
そのブログがこちら
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「心壁論」と、論理構造の解明・組合せ論的整理術を「心の基軸」 とすることの本質的重要性 | 新一の「心の一票」 - 楽天ブログ
ブログの中にこんな記述がある。
このIUTeichの枠組の根幹を形作っている数学的な状況は、「バベルの塔」やラッセルのパラドックスだけでなく、私の旅行や国際的な状況に対する消極的な姿勢や、米国での様々な経験に対する考え方とも密接に関係しているように思います。
無味乾燥にみえる数学の理論も。一人の人間の心を苗床に咲いた花なのでしょう。
科学者は、なぜ軍事研究に手を染めてはいけないか
科学倫理学という学問があるのかはわからないが、読んだ印象だと、どうも”科学者は軍事研究に関わるべきではない” という考えはそれほどコンセンサスがとられていないのかもしれない。とはいえアインシュタインはじめ有名な科学者は大体反対しているような。
科学者の立場で書かれているが、安全保障面や政治、社会、倫理学の観点からも妥当性は語れないのか気になるところ。
実在とは何か
物理学者マヨラナの失踪について考察したエッセイのようなもの。警察は自殺説をとっていたが家族はその仮説を受け入れず。はたしてその真相は?
実はマヨラナがその後も生きていることは確認されているらしいので失踪だったわけですが、じゃあその動機は何かというのがこの本の主たるテーマ。
レオナルド・シャーシャの推測は、原子爆弾の開発に向かおうとしてた科学に失望して物理学を放棄したのではないかというものだったが、著者は違う答えを提示する。
ここで私たちが提示しようと思う仮説は、もし量子論力学を支配している約束事が、実在は姿を消し確率に場を譲らなければならないとするなら、そのときには、失踪は実在が断固として実在であると主張し、計算の餌食になることが唯一のやり方である、というものである。
マヨラナは現代物理学の確率論的宇宙における実在の規定の範例的な暗号をみずからの身をもって作り上げたのだった。
アセクシュアルのすべて
この言葉も大分メジャーになりましたね。
読んでみると思ったより定義は広く、自分も十分にアセクシャルの中に含まれそうです。恋愛だけが実りある人間関係じゃないよみたいなことを手を変え品を変え言ってくれます。
正直自分自身それほど困ってるわけではないけれど、今後社会とコンフリクトを起こしたときに読み返すと元気をもらえるかも?
■小説
タイタン
野﨑まどがバビロンの続きを書くのがいやになって逃避で書いた小説(と思われる)
今回のテーマは汎用AIと仕事といったところでしょうか。
流行の技術トピックを延長して未来のビジョンを作るという点ではknowと共通しています。knowのころはビッグデータとかライフログとかウェアラブルデバイスとかが話題になってた頃ですね。
作中でそれに対応するのが情報材ネットワークと電子葉でした。今回は汎用人工知能と3Dプリンターで、作中でそれに対応するのが「タイタン」というAI。
そして中心になるテーマは「仕事」。knowはそれまでまどが取り組んできた”全知と超越”をジャンルSF小説でやったのに対して、タイタンのテーマの選び方はバビロンに似ているように思います。なんというか、テーマの選び方が大きくて社会派な感じ。(メディアワークスのころはおもしろい映画とは?とか世界一おもしろい小説とは?とか不死とは?とか友達とは?とか、もうちょっと日常によりそった素朴なものだった)これは作品の射程を大きくするようでいて、デメリットもあるように思う。まどの長所であるはったりの効いた概念の転倒が難しくなる。社会的なテーマになればなるほど人文学問の中での議論の蓄積があり、その議論の厚みを盛り超えて驚かせてみせるのはけっこう難しい。バビロンは「悪」の概念の提示に苦慮していきずまっているように見えるし、タイタンの仕事という概念の結論についてはハンナアーレントが人間の条件ですでに言ったことに見える。そういった意味で期待していた驚きがないなあと思った人もいるでしょう。
とはいえタイタンはつまんないかというと全然そんなことはありません。スケール感もあり、視覚的な見せ場もあり、人間とAIの関係について新しいビジョンを提示することもできています。ここはかなりよいところ。
それと今回、野﨑まどの定番だったヒロインの聖女/魔女的表象をやめています。どんでん返しの魅力にもなってましたがミソジニー的でもあり、今のご時世だと弱点だなと感じていたのですが、今回そういった要素がありません。hello worldの一行さんのキャラはとてもよくできていたと思いますが、集団制作の影響(特にキャラクターデザインの堀口悠紀子さん)で作風にフィードバックがあったのかもしれません。
■漫画
大人になっても
志村貴子は引き算の美学に貫かれている。
描線に無駄はないし輪郭線や髪の描線も極力減らされている。演出面でもシーンはバッサリと切られ、大胆に飛ばされる。青い花のクライマックスであーちゃんがふみちゃんをふってる描写が飛ばされてるのは驚いた。
そしてテーマにおいても引き算の美学になっていると思う。いわば「諦念と執着」だ。
人はいろんなものを諦めていって、それでも最後に諦められないものが、執着が残る。志村貴子のキャラクターの多くは諦念と執着で設計されているように思う。
『おとなになっても』の中で下のようなモノローグがある。
別に運命の出会いとか思ってない
今まで何度も運命を感じたことあるけど気のせいだったし
だけどないとも思ってない
だってあるかもしれないし
諦念のなかで執着が際立ちますね。
id:INVADED
アニメが面白かったので後日談のコミックも購入。アニメはミステリが構造的にはらむ問題(後期クイーン問題?)に対する批評的なアプローチがありエンタメとしてもよく練られていてとてもおもしろかった。コミックの方はメタミステリー的要素は後退して道具立てでめいっぱいのサスペンスを展開する。本堂町ちゃんのサイコパスっぷりが冴えわたっている。
五等分の花嫁
気になっていたけれど 完結したということで一気読み。
ロマンスと同時にシスターフッドの話でもあり、両者の並立が葛藤の源であると同時に 一方が他方の安全弁にもなっている。企画からして強いぞ!
恋人選びとしてはギリギリまで拮抗しているがバディ選びとしては納得感のある着地。ただ、ポリガミーか輪番で夫婦やればよくね?と思ってしまった。